教師にならない人の教育実習
教育実習を体験した。
二つほど、大きな収穫を得たためとても大変な4週間ではあったが
ポジティブに考えてよい経験をしたと思いたい。
正直なところ、時間と労力の無駄ではあったと思う。
でもやっぱりここはポジティブに考えよう。
大きな収穫の一つ目は、
私は絶対に教師にはならないということだ。
大学四年間、個別指導の教師をアルバイトでやってきたが
アルバイト自体は楽しく、まぁ辞めようと思ったことは何度もあったが
やはり担当生徒がかわいくてなんだかんだ言って続けてきた。
そのため、ふと「あ、学校の先生もいいな」などと思ったこともあったが
実習をやってみてわかった。
絶対に教師にはならない。
人間というものは忘れっぽい生き物であるので
もし万が一何かが起こって、将来の私が「あ、学校の先生もいいな」なんて寝ぼけたことを言っていたらこの文章を思い出してもらいたい。
絶対になるな。と。
実習2週間目の月曜日の朝。私は悟った。
「教師想像の5000倍向いてないわ。」と
当たり前だが、わかってはいたが
アルバイトと職業の教師とでは全然全く違うのである。
その理由が大きな収穫二つ目だ。
学校という世界が狭すぎる。
よく高校生や中学生がいじめられていると「学生の間だけは学校だけがその子の世界だけど、世間はもっと広いのよ。と教えてあげなきゃいけない。」という声が聞こえる。
間違いなくそうなのだ。
大学生でいじめなんてあまり見たことがない。
なぜかというと大学生は高校生・中学生に比べて視野が広くなってるのだ。
学科で気の合う友達がいなくてもサークルでは友達ができたり
大学では居場所がなくとも、アルバイト先では仲良しがいたりと
高校生・中学生にくらべて居所が大きくなっていく。
社会人になったことはないが、大学生よりも世間は狭まるが高校生・中学生よりは
視野が広く居場所も多数用意できるのではないかと思う。
しかしだ、
教師という職業について学校に再び戻ってくると
また狭い世界に引きこもってしまうのだ。
毎朝合う同僚は同じで、生徒の数は多いといえどもコンスタントに顔を合わせ会話を行うのは、自分の担当クラスのみなのだ。
さらに生徒となんか友達にはなれない。
相談事ができるのはおよそ30人ほどの教師のみなのだ。
とてもとても狭い世界で生きていかなくてはいけない。
これが私には地獄だった。
同時期にまぁ仲のいい同回生と実習が始まったのは幸いだが、
後半はもう飽きてしまう。
誰だって一人の時間がなければ息が苦しいだろう。
必死に一人になる時間場所を探して逃げ回った。
加えて、同じ教科に配属された人とは全く合わなかった。
彼は教師になるらしいが、私はなる予定ではない。
つまり、私の中では本来いけないことだが、いかに楽に最低限の努力でこの実習を切りぬけるかを考えていたこともあった。
それに彼は合わせてきたきたり時にはなぜか嫌味を言われた。
え… なんで・・・・
なぜ彼は同じ程で同じテンションで話してくるのか。
将来のゴールが別であるなら、歩く道も別であろう。
人と違うことは悪いことではない。
頑張らなくはいけないときは人によって違うのだ。
自分が苦しんでいるときに相手も苦しむ必要なんてない。
足並みをそろえて頑張ろうは、誰かの足を引っ張るのだ。
え… お前教師になりたいんよな?? そんな考えで?? 教師??
この彼の存在が大きく私を苦しめた。
しかし、教育実習のクラス担当の先生はいい人だった。
(大学生らしくいうならカモだった。)
教科担当も、THE女教師っていう感じでプライドが高く、私の考え私の言う通りにしなさいっていう人だった。
(私が高校生の時にいた英語の教師にそっくりだった。高校生の頃の私らしく言うなら「超うざいけど、扱いやすいよねw」である。)
多少の衝突はあったものの下を向いてハイハイ言っておけば、特に文句も言わないので
あたりではないかと思う。
とりあえず癖はあるものの無駄に夜遅くまで残ったり朝早くから来いなど理不尽なことは何一つなかったが
なかったからこそ冷静に考えて教師なんかなるもんじゃない。向いていないということを強く認識した。
そう思うと今まで出会った教師は尊敬する。本当に教育が好きで子どもが好きなんだろう。
それかイカレテいるかだ。
最終日には担当クラスの生徒から寄せ書きをもらった。
とてもいい子たちだったし、こんな実習生でごめんという気持ちとありがとうという感謝の気持ちでいっぱいだ。
寄せ書きの中に「いい先生になると思います。」といくつか書いてくれてあった。
ありがとう。でも私は教師にはならない。
おわり